竹万のはじまり

竹万の創業者である関口万吉は、静岡県天城湯ケ島の旅館「嵯峨沢館」で調理長として長年勤めておりました。独立を決心して準備をしていた頃、1958年(昭和33年)の狩野川台風の被害により旅館は全壊・・・長年お世話になった女将さんへの恩返しとして旅館の営業再開のため独立をいったん諦め、無給で働き続けました。女将さんは旅館をたたむ覚悟をしていましたが、万吉は必死をで励まし、「建物はなくても温泉は沸いている。温泉と料理があれば人は集まる」と言い続けました。そして、周囲の竹林から竹を切り、その竹の自らの料理の器として使い始めました。しばらくして旅館は温泉と料理が評判になり、再びお客様を集めていったのです。このエピソードが、1970年の人気ドラマ「細うで繁盛記」の板前「清さん」こと高島忠夫さんが演じた役のモデルになったと言われています。旅館再興が落ち着いた後、万吉は縁があって現在の平塚市に1973年12月に店を構えました。「竹万」という屋号は、平塚市で有名な「湘南ひらつか七夕まつり」にちなみ、竹の器を使い日本料理店を開始したことがきっかけになっております。「竹」と「万吉」の名前から、「竹万」という屋号になりました。時代は大きく違いますが、私どもは創業者の「感謝」の思いを受け継ぎ、「竹万」という屋号の通り「竹」にこだわったおもてなしを心がけております。

※狩野川台風:1958年9月26日に発生した、降水量750ミリに達する大きな台風。伊豆全体で1000名以上が亡くなった大災害。

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